タイトルは、私のことです。
母が養子だと知ったのは、自分の最初の婚姻届けを出した時。
戸籍謄本を見て驚いた。
それを知ったことは母には言わなかったが、父や叔母には酔った勢いで話した。
まあ、みんなは知ってたことなんだけど。
養子になった事情は知らなかったが、私の2回目の旦那の姉がやはり養子で、養子といっても親戚の子だということで、なんとなく私の母もそんな感じなのかな…と思い込んでいた。
実はじいさんの愛人の子だったと知ったのはほんの数年前。
母の地元の肉屋の息子が教えてくれた。(息子といってももう還暦近いけど)
「知ってた?」というので
「養子なのは知ってたけど愛人の子だとは知らなかった」と言ったら
「母ちゃんに聞いてみ。ヒヒヒ…」
と、からかわれた。
聞けるわけないじゃん。
しかし…
じいさんの妾の子を引き取って育てるなんて、サマーウォーズじゃあるまいし…
母には6つ上の姉がいたんだけど、母の子どもの頃の話とかきくと、
祖母(母の母)は姉には厳しかったが母には甘かったとか、同じ悪さをしても怒られるのは姉だけだったとかで、母自身がそれを不思議がってた。
祖母が生きてるころのことを思い出しても、祖母と母の関係は良かったんだよね。
それが不思議。
夫の愛人の子をそんな風に可愛がれるなんて、心の広い人だ…
と思いたいが、実はこの祖母、私にはめちゃくちゃ意地悪だった。
3つ上の従姉と仲が良かったので、よく泊まりに行ってたのだけど、その頃は祖母の笑顔なんて見たことなかった。
私に向ける顔はいつもイライラしてた。
一番嫌な思い出は、3月終わりのお祭りの時。
祖母の家に泊まりに行って、従姉と一緒にお祭りに行こうとした。
私は、知り合いのお下がりのカーディガンを着ていたのだけど、これがアンティークな感じでとても気に入ってたのだ。
しかし、祖母からしたら、それはただの古めかしい時代遅れのカーディガンにしか見えなかったらしい。
「そんな服を着て祭りになんか行くんじゃないよっ!みっともない!着替えなさい!」
出掛けに祖母に怒鳴られた。
黙り込む私に従姉が
「他の着てく?着替えある?」みたいなことを言う。
「これしかない」と答えたが、着替えがないとかそんなことじゃなくて、私が気に入って着てるものを、そんな言い方されたのが傷ついた。
もじもじしてると、祖母はさらに
「そんな汚らしい服を着て外になんか出たら〇〇家の恥だよ!着替えないなら祭りには行くな!」
あまりの剣幕に伯母も驚いて、従姉に「ひろいちに何か上着貸してやりなさい」と。
結局、従姉から服を借りてそれを着て祭りに行ったのだが、なぜあんなに怒られたのかいまだに謎。
ちなみに、じいさんというのは、私が3つくらいの時に病気で亡くなっているので、あまり記憶にない。
亡くなる少し前だと思うが、病院へお見舞いに行き、父に抱かれてじいさんの近くにいった時に、名前を呼ばれたことくらいしか覚えてない。
いつも祖母にはきつく当たられてたので嫌いだったし、何かあるたびに母にも話してたけど、母から祖母に何か言ってくれてたかどうかは知らない。
それでもしょっちゅう泊りには行ってたが、祖母にきつい事を言われてメソメソしてると、従姉が
「おばあちゃん、普段は面白いことも言うし意外とやさしいんだよ」
と、祖母をかばっていたが、私はそんな祖母は見たことがなかった。
笑った顔を見るようになったのは、祖母が年をとって病気をしてからかな。
弱ってからの祖母は、私にも優しい顔を向けるようになってた。
結局、祖母と私は血の繋がりがないわけだが、意地悪する理由はそこじゃないと思う。
弟や妹には、そこまで厳しくなかったと思うし、そもそもなんで母には甘いのに私に厳しいのか。
母のことを可愛がらないと、じいさんに怒られたりしたのだろうか。
もしかしたらだけど、祖母が私にきつく当たるのは、じいさんの愛人とやらに私が似てたりするのじゃなかろうか…
なんてことを想像する。
私は、父にも母にも似てないとよく言われてたし。
父方の祖母には似てたらしいけど、母方の本当の祖母似というのも可能性は高い。
というか、じいさんもね…
すごく真面目なイケメンだったと思うんだけど。
・・・真面目というのは母から聞いた話。イケメンというのは遺影がイケてたから・・・
真面目なイケメンが愛人とか作っちゃうんだ。
でもって、子どもまで作っちゃうんだ。
わりとそこはショックでかかった。
でも…
もしかしたら私と似てるかもしれない本当の祖母。
真面目なイケメンじいさんが愛した人。
どんな人だったのか知りたかったな…
この季節になると、あの時のクリーム色の可愛いカーディガンと、すごい剣幕で怒る祖母と、従姉から借りたテーラードジャケットが薄くて寒かったことを思い出す。



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